おうばく通信
BUCきょうと機関誌『ばっくる』連載エッセイ
2015年12月 1日 (火)
月刊きょうと/「私のとある趣味」(2015年12月)
今回は利用者のY・Kさん(男性)に、趣味で描いておられる絵画の魅力について書いていただきました。
私が、紹介するのは趣味の一つの絵を描くことです。
幼い頃から、絵を描くことは好きでした。しかし、画家は、生活できない。食べていけない。受験とかでは評価されない美術は、やっても無駄だからやめたほうがいい。私の周りにはそういう人たちが多くいました。これらの影響から、中学生頃から絵を描くことを止めてしまいました。
高校時代、バンクーバーに十カ月ほど留学していました。そこで、転機が訪れます。それは、お世話になった当時のホストファミリーに会ったことです。彼らは老夫婦で、物腰の柔らかい人たちでした。
ホストファザーは、イギリス出身でポーランドに移住。ホストマザーは、ポーランド出身。ポーランドで平和に暮らしていたのですが、第2次世界大戦が勃発しました。ポーランドは、ナチス・ドイツ軍に一日で陥落してしまい、難民を受け入れていたカナダに移住した人たちでした。ホストファザーは、七カ国語を操る人で小説家でもありました。加えて、世界を旅行する人でもあったので、彼から世界のいろんなことを学びました。
ホストファザーは、私が芸術好きと言うと、音楽や美術について色々話してくれました。いろんな芸術や教養の本を彼から渡してもらい、眺めていると、私もヨーロッパに行ってみたいという感情が芽生えました。これが、私がヨーロッパに旅行したきっかけとなりました。
その後、社会人になり、草野球やフットサルや身体を動かす趣味はしていました。しかし、文化的な趣味がないと思いました。そのとき、学生時代にできなかった絵を描くことをしようと思いました。描く技法が分からないので、絵画教室に通うことにしました。
絵画教室の先生は、おばあちゃんです。ですが、気持ちが若々しく、一人でフランスやイタリアに行ってしまう人です。先生は、弁護士を目指していたのですが、色んなことがあり、画家になった異彩な人です。
教室中は、絵のことを教えてもらうだけではなく、人生相談、海外の話、歴史、この頃気になっているトピックなども話しながら、絵を描いています。時間が合えば、ランチも一緒に行くこともあります。
絵というのは、答えがありません。ないからこそ落ち着くこともあります(絵描きが本業の方は、大変ですが…)。
社会だと、何でも答えを出さないといけないというのがしんどい場面もあります。仕事で偉くなって、キャリアを積んだとしても死んだら無くなります。私がやっている油絵は、湿気、光に強く、保存も簡単です。色々、バカにされたりしましたが、後世に残るようなものが作れるということは誇れることだと思います。